土砂降り。

日本を出てから23日目。遂に晴れ男記録もストップ。
昨日、ボート用にシルビゥからもらったレインコートが、今日は役に立ちそうだ。

ホテルをチェックアウト、そのまま三国国境地点に向かう。

フォス ド イグアスとは、そもそもイグアス川がパラナ川に合流するところという意味です。

ブラジル、アルゼンチン、パラグアイ。
そこで3つの国が、川を挟んで一箇所で対峙するという、珍しい場所でもあります。

市街地からは、車で20分ほどで到着。
雨に煙る対岸、左がイグアス川を挟んでアルゼンチン、右がパラナ川を挟んでパラグアイ。
パラナ川は、この先アルゼンチン領内を流れ、ブエノスアイレス近くで大西洋に注ぐ。

国境って、なんだろう。

普段、国境というものをまるで意識しない我々は、ここで国境を越える、というような感覚が希薄だ。

本来なら、狩猟民族でも放牧民族でもない農耕民族の我々は、ボーダー感覚、テリトリー意識が強いはずだが、島国という環境がそれを求めなかったのだろうか。

でも、考えてみれば、いまの日本というくくりも、明治以降の、たかだか100年とちょっと。
それだって、戦争がある度に引き直されてきた。

国、という概念は、明治以前はむしろ藩単位に近いものだったと思う。
そう言えば、所々にではあるけれど、関所というイミグレがあって、そこでは通行手形というパスポートも必要だった。

文化、という括りでみれば、言葉とか、食べ物とか、そういうものはほぼ藩単位だ、というのは、すみません、これは内田センセイの受け売りです。

いずれにしても、いまここが国境で、この一歩で国境を越える、というようなことは、やはりほとんど意識した記憶はない。

地面に線が引いてあって、ほら、ここが国境だよ、そういうところも多分あるのだろうと思いますが。

ヨーロッパとか、そういう感じなのかな。

でも、EUという壮大かつ崇高な試みは、人やモノの行き来における国境をなくそうとしている。
だから旅行者は、ドイツで入国して、フランスで出国する、ということになる。
それでも、行政単位としての国境は厳然としてあるわけで、先程の文化、つまり言葉や食べ物、価値観や倫理観なども、国境を越えると、一変してしまう。
ここも、対岸の人々は、どちらもスペイン語を話し、マイナーコードの音楽を奏でる。

逆にスイスを列車で旅していた時、ジュネーブを出る時はアナウンスも表示もみんなフランス語だったけれど、バーゼルに着いたらすべてドイツ語に変わっていたな。
こうなってくると、そもそも国ってなに?というところまで行ってしまうので、困ります。

車に乗っていると、カーナビが
「東京都に入りました」
とか教えてくれるけどね。
でも東名を西に向かって走っていて、どこだろ、浜松とか桑名の辺り?
「うどんのつゆが、薄口醤油になりました」
とは、カーナビは教えてくれないな。

ヨーロッパのカーナビは、
「ベルギーに入りました」
とか教えてくれるのだろうか。

眼の前の、雨に煙る対岸を見ていると、川が国境というのは、なんか、そうだよなぁ、みたいな気持ちになります。
越えられない何か、みたいな、どこか拒まれているような。

ここは明らかに、何かのボーダーである。
でも、それだからこそ、人はまたそこを越えて行こうとするのかもしれない。
国旗の色に塗られた指標が建っている。
アルゼンチンの指標も、辛うじて見えたけれど、パラグアイの指標は、雨に溶け込んでしまっていた。

海では、対岸は見えない。だから、どこまでも続く連続した世界のようにも思えてしまう。
その先は、未知の領域になる。


35年前に、ブラジルとアルゼンチンの間には橋が架かりました。
ブラジルとパラグアイの間にも橋ができています。
でも、アルゼンチンとパラグアイの間には、まだ橋はありません。
だから、今でも川を船で渡ります。

川の場合、どうやら真ん中が国境らしいです。
イグアスの滝では、悪魔の喉笛の真ん中が国境になるそうです。

少なくとも国境が、人と人の心を隔てるものであって欲しくはないよなぁと思います。

それにしても、凄い雨だ!
雨足が更に強くなって、もうパラグアイは完全に見えなくなった。

これから再び滝に向かうのだけれど。
冠水し始めている道路を、滝へと向かう。

いったいどうなるのだろうと思っていたけれど。

なんだ、そうか。

これはこれで、ありなんだ!

雨のしぶきと、滝の水煙と、雲と、なんかみんなが渾然一体となる中で、少しも揺るがない存在感を持って、大音響をたてながらそこに連なっている。

再び、見とれてしまった。

今日は、昨日の倍くらいの時間をかけて、遊歩道を歩いていく。
というより、ひとところに止まっている時間を長く取りながら進む。

彩度で言えば、昨日よりもかなり落ちている光景だけど。
輪郭も曖昧だけど。

そういうこと、おいらには関係ねえよ。
悠久の時の流れの中で、こうやって水を落とし続けて来たんだよ。
お前ら人間が滅んだ後も、そのずっと先も、こうやって水を落とし続けて行くんだよ。
これほど違うものを見せてくれることに感謝しつつ、違う、なんていうことが、人間の勝手な、そして極めてちっぽけな見方に過ぎないことも実感する。

昼食後、もう一度、今度は悪魔の喉笛から滝の入り口に向かって、逆コースで戻る。
滝は、当たり前に、同じように水を落とし続けている。
白い水煙、厚みのあるところは茶色になり、砕けて散って、また落ちる。
だけど、一見同じように見えても、それは決して二度と再現されることのない、無限の営みだ。

いつの間にか雨は上がって、滝の向こうにはわずかに青空も見えていた。
そうして、滝に最後の挨拶をして、空港へ向かう。

無理して、わがまま言って、いっぱい助けてもらって、ここまで来て、よかった。

さあ、サルヴァドールへ、帰ろう!